おはようございます。
もち子とすし子です。
今日は
【怒りという感情について】
私たちが思うことを書いていこうと思います。
先日のアカデミー賞の授賞式でのウィル・スミスを見て2人で話をしました。
愛する人を侮辱されたという怒りから手をあげてしまったという事でしたが、
この出来事を自分の日常生活に置き換えて考えてみました。
まず、暴力を振るうということは
自分よりも弱い立場の相手をコントロールするための行動だと思います。
それは、殴る・蹴るという身体的な暴力もあるますが、
言葉を使って相手を支配するという暴力もありますよね。
自分の日常生活の中で、怒りという感情に振り回されていないかな?
感情に振り回されている自分は、弱い立場の相手に暴力をふるっていないかな?
日常生活の中で、私たちは怒りという感情をどう出しているのか振り返ってみました。
旦那さんがいて、子供がいるという日常生活で
「旦那さんは手伝ってくれない」
「子供が言うことを聞いてくれない」
と言う、自分の思い通りにならないことがたくさんあります。
そんな中、自分の思い通りにしたいと言う目的のために怒りの感情を使って
相手をコントロールしようとしてしまっているのではないかと思いました。
相手を自分の思い通りにしたくて、怒りの感情を使って
😡「なんで手伝ってくれないの!!💢」
😡「なんで言うこと聞いてくれないの!!💢」
😡「何回も言ったじゃん!!💢」
と相手に怒りをぶつけたところで、自分の思い通りになったことってあったかな?
と思い返してみましたが、
😡「後でやるって言ったじゃん!!💢」
😡「なんでそんな怒っていうの?!!💢」
😡「怒らずに言ってよ!!💢」
と相手からも怒りの言葉が返ってくることの方もありましたが、
😢「ママが怒っていうからやるよ・・・」
と相手を従わせてしまっていた事もありました。
怒りの感情は、相手をすぐに変えることができるパワーとスピードがあり、
すぐに結果を変えられるので、自分はとても楽できる。
そして怒りの感情をぶつけられるのは、自分より弱い立場の人にだけ。
相手に対しての怒りは、八つ当たりになっていないか考える必要がある。
それは、本当の気持ちを置き去りにして怒りに変わっていないか?
ちゃんと自分の気持ちを自分がわかっていれば、
相手に当たり散らすことなく、やって欲しいことがあれば伝えることができると思う。
結局、どこまで行っても自分なんだ。
と言うことに気がつきました。
では、これを踏まえてウィル・スミスの立場になって考えてみよう。
愛する人を侮辱されて、自分のことのように悲しい気持ちになったんだと思う。
その大きな悲しみを怒りに変えて相手に暴力としてぶつけてしまった。
きっとウィル・スミスは脱毛症に悩む奥さんをずっとそばで見守って、
支えていたから、冗談で言ったことがとても許せなかったんだと思う.
手をあげた旦那さんをみた奥さんの立場になって考えてみると、
一瞬だけ「自分のために怒ってくれた」と思うかもしれないが、
自分のせいで、相手に暴力を振るわせてしまった。
旦那さんはとても良い人なのに、暴力に頼ってしまったせいで
批判されることになってしまった。と、守ってもらったはずなのに
悲しい気持ちになってしまっているのではないかと思いました。
この場合、暴力に頼らず相手に伝えるにはどうしたら良いのか?
自分の気持ちにいち早く気がついて、暴力に頼ることなく
「愛する人のことを侮辱したように言われて、僕はとても悲しい気持ちになった。」
と言えるのではないかと思いました。
そして、相手の容姿を侮辱したことを冗談で笑って見過ごした周りの人にも
「何がおかしいの?僕は全然笑えないよ」
と、はっきりと自分の気持ちを伝えることができたのではないかと思います。
ハリウッドスターであるウィル・スミスがこの伝え方をしていれば
きっとたくさんの人に、
・冗談でも言って許されることではないこと。
・他人の容姿を持ち出して笑いを取ろうとしたこと。
・それを許容した周りのこと。
を見つめ直すきっかけを作ることができたのではないのかと思います。
どこまで行っても自分の気持ちには自分しか寄り添えない。
怒りも大切な感情だけど、怒りで解決することは何もない。
ウィル・スミスの奥さんは愛する人にだけ守って欲しかったはず。
私たちの日常生活の中でも、感情に振り回されていないか。
そして相手をコントロールしていないか。
コントロールするのは自分の感情だけ。相手ではない。
改めて今回考え直すきっかけとなりました。